ダサいとは何? 意図してダサくなる事はできるの?

ダサいとは何? 意図してダサくなる事はできるの?
ダサさって、ちょっと親近感ありませんか?
ダサいって言葉は言われて良い印象は無いですが、最近はあえてダサくデザインしている商品を見かけるようになってきました。
同様にデザインの仕事においては時々ダサいデザインを要望される事が散見され始めました。
そこでダサいデザインを描き起こす事になるのですが、なかなか意図してダサくする事ができません。
普段はダサいなんて言われたくないと思う人が多いのではないでしょうか?
今さらダサくする事なんて出来ないようにさえ思えてしまいます。
今回はダサくデザインする話をしていきますね。

ダサいとは洗練されていない事

ダサいとは何か辞書で調べてみると「垢抜けていないこと」「田舎くさいこと」と書かれています。
「垢抜ける」とは「洗練されていること」「一人前になること」と似たような意味で、「田舎臭い」とは「流行に遅れている状態」に近しい意味となります。
なぜなら田舎の流行は都会の流行に追いかけるような形でついて行くからですなので田舎では少し前の流行が流行っていたりしますよね。
ここで注意して欲しいのが「流行についていっている」と一人前洗練されているという言葉の意味は違うということです流行とは何かについてはまた今度の機会にお話ししますね
話を戻しますダサいとは一人前ではないこと要するにプロのように完成されていない事だということになります

スポーツにおけるダサさ

スポーツにおいてダサいとはテレビで見るような「プロの選手のように動きが素晴らしくはないこと」「素人くさいこと」です。
プロの選手はここぞという時に意気込んでその通りに成し遂げますが、素人はここぞという時に意気込みだけ立派でも失敗してしまう。
これを見た他の人はダサいと判断します。
プロのように洗練されていないからです。

ビジュアルにおけるダサさ

ビジュアルにおいてダサいとは「プロのデザイナーやイラストレーターのように形が整っていなかったり配色が汚かったり何を伝えたいのかわからなかったりすること」を指します。
今まで絵を描く機会が無かった人が絵を描いても崩れてしまうのは当然。
それを知ってか知らずか、崩れた絵を見た他の人はプロのように洗練されていないからダサいと判断します。

文面におけるダサさ

文面においてダサいとは「プロのライターのように文法が正しくなかったり文脈が美しくなかったり表現手段が多くなかったりすること」を指します。
初めて文章を書いても数百文字書き綴るのさえ大変で、文脈を意識するのは難しい筈です。
(私もそうです)

意図してダサくするには

要約すると「ダサいとは洗練されていないこと」なのです。
つまり意図的にダサいデザインを行おうとした場合は、今まで自分が培ってきた経験などを一旦全て忘れ洗練されていないものを書き起こせば良いことになります。
ダサさは絶対悪ではありません。
使い方によっては親近感が湧いたり愛着が湧いたりするようにできます。
いつかダサい案件が舞い込んできた時参考にしてみてくださいね。

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